【DIRECT TRADE WITH EL SALVADOR VOL.2】コーヒーが国をつくった─エルサルバドルのコーヒー産業の歴史
私たちウッドベリーコーヒーは「コーヒーに携わるすべての人が豊かになること」を目指しています。【EPISODE OF EL COLORIDO】の連載で取りあげた「グアテマラ/エル・コロリド」もまた、その目標を実現するための取り組みのひとつでした。グアテマラを訪れた私たちはそして、もうひとつの夢であったダイレクトトレードをおこなうべく、エルサルバドルへと向かいました。
この連載では、私たちがおこなったエルサルバドルとのダイレクトトレードについてお伝えしていきたいと思います。
コーヒーが国をつくった
エルサルバドルとコーヒーは、その国の成り立ちにおいて切っても切り離せない関係にあります。
すこし歴史の話をしましょう。19世紀初頭、エルサルバドルはグアテマラ総督領(中米全域を統轄したスペインの植民地)の一部でしたが、1821年のメキシコ独立をきっかけに、ほかの中米諸国同様にスペインからの独立を宣言します。22年に中米諸国はメキシコへ併合されましたが、さらにその翌年には中米5ヶ国をひとつに統合した中米連邦共和国が成立しました。エルサルバドルがひとつの国家として独立したのは、中米連邦が内紛などによって崩壊した1841年のことでした。しかしエルサルバドルは数度持ち上がる中米連邦復活構想を支持するなど、国家と中米連邦のあいだで揺れつづけ、人びとに国民意識が根づきはじめたのは1870年代後半以降といわれています。そうした国民意識の形成と、コーヒー生産は密接な関係にあります。
エルサルバドルでコーヒーの栽培がはじまったのは1740年ごろ。徐々に生産量を増やし、1860年代半ばから70年代初頭にかけて急激な成長を遂げます。その発展と独立後の中央集権化が重なり、外貨獲得と財政収入確保のためにコーヒー生産に特化した政策を行うようになります。1960年代に相場が下落するまでコーヒーは大きな利益を生む作物でした。大農園主は金融業や不動産業などへ投資しながら経済活動を支配下におくようになります。19世紀の歴代大統領のほぼ全員が大農園主だったことからもわかるように、コーヒー生産と国づくりが同時に進行したことは一握りの富裕層による支配を加速させましたが、いっぽうで、バナナや綿花のように他国の独占的なビジネスに回収されることなく国内資本家を形成し、経済を大きく発展させました。そして、コーヒーは1879年にそれまで主な輸出品目であった藍(インディゴ)の輸出量を上回り、1940年ごろまでには輸出品目の80~90%を占めるようになったのです。
内戦という危機
しかしエルサルバドルのコーヒー産業は、ふたつの大きな困難に直面します。ひとつはエルサルバドル内戦(1979年~1992年)です。1931年にマルティネス将軍がクーデターによって大統領に就任して以降の半世紀におよぶ長期的な軍事独裁政権下では、度重なるクーデターで激しく移り変わる政権によって内政は不安定になっていきました。しかし富裕層は自らの既得権を守るため軍部を支持し、民主化を求める政治勢力は弾圧されつづけました。そのような状況にあってもコーヒー産業は成長を続け、1975年には世界3位の生産国となり、78年には収穫量が至上最高記録に達します。ところが、79年にロメロ政権がクーデターで倒されて革命評議会が発足すると、翌年に反政府ゲリラの5組織からなるファラブンド・マルティ民族解放戦線(FMLN)が結成され、それに対抗するかたちで極右の活動も横行し、泥沼の内戦状態に突入してしまいます。
1992年に和平合意が成立するまで、13年間にわたる長期的な内戦はコーヒー産業にも大きな打撃を与え、収穫量は半分以下まで減少してしまいました。その要因は不安定な農業改革や税制政策だけでなく、戦闘が山岳地帯で行われたことで多くの生産処理場が破壊されたことにもあります。私たちが訪れたチャラテナンゴ地域はとくに被害が大きく、「ここはもともと更地だった」という話も耳にしました。チャラテナンゴに小規模農家が多く、パカマラ種のような新しい品種が育てられている傾向にあるのも、エルサルバドルのコーヒーが内戦の傷を乗り越えたことの表れなのかもしれません。
サビ病を乗り越えて
2012年、エルサルバドルのコーヒーはもうひとつの危機に陥ります。サビ病の発生です。サビ病は葉の裏にサビのような斑点が広がり、光合成機能が失われて木が枯れてしまう病気です。強い伝染力を持ち、壊滅的な被害をもたらします。内戦によって減少した生産量は、さらにサビ病に直面したことで2万トンまで落ちてしまいました。世界第三位の生産量を誇った時期と比べると、じつに1割程度まで減少してしまったのです。
サビ病によって岐路に立たされたエルサルバドルは、国をあげてコーヒーの品質向上に大きく舵を切りました。2012年は、国際的にもスペシャルティコーヒーの市場が大きくなりはじめた時期でもあったからです。生産量で他国に敵わないからこそ、すくない生産量でもしっかり稼ぐことができる仕組みを国全体でつくろうとしたのです。内戦とサビ病を乗り越えたエルサルバドルの人びとからは、どんどん変化していかなければいけないという気概を感じます。次回からは、そんな彼らの高品質なコーヒーを生み出すための取り組みについてご紹介していきたいと思います。
*参考文献
細野昭雄・田中高編著『エルサルバドルを知るための55章』明石書店、2010年
在エルサルバドル大使館「エルサルバドル コーヒー産業の歴史」(https://www.sv.emb-japan.go.jp/files/100121220.pdf)
オリジナルマガジン "Pneuma" ISSUE18 より抜粋
連載3回目「VOL.3 エルサルバドルコーヒーとトレンドの転換期」は、こちらからご覧いただけます。